左利きノッポ丁寧語使うのやめた
以前書いていたブログや人に見られるであろう文章を書くときは丁寧語入力を自然としてきた。
あまり考えたこともなかったが誰が読んだとしても読みやすいし失礼が無いからだろう。
ただ、左利きノッポが書く「左利きのはじける脳みそ」ブログは一切丁寧語を使っていない。
左利きノッポは私であるが、私でも無いからだ。
彼は私が考えたキャラクターであり、設定的に丁寧語や敬語を使うキャラではない。
40代で脳内が妄想だらけ、小言をぶつぶつ唱えている大きいオッサンである。
そんなオッサンが丁寧な言葉を発するだろうか?
自分の考えを誰に聞かせるでもなくつぶやいているのだ。
私自身が以前書いていたブログは美容師としての自分を全面に出していたため、私のイメージアップやお客様に読まれているという認識の中作られていた。
なんとなく自分をセーブするというか、良い人に見られようと必死だったのだ。
そうするとなかなか自由に書けないジレンマにさいなまれる。
そして次第に書くことから遠ざかる。
お客様に見られるから嫌なのではなく、よく見せようとしている自分に嫌気がさしてくるのだ。
本来の自分というのは、とても腹黒く、だらしなく、人としてどうなのかというカッコ悪い部分も山ほどある。
この事実を隠していい人ぶる、なんともカッコ悪いおっさんなのだ。
その点において左利きノッポは自由である。
書きたいことが書ける。
が、これもまたよく考えれば私自身が持つ弱さの表れだったりもする。
自分を隠せば書きたいことが書けるなんて、なんともカッコ悪い。
だせえなぁ。
結局こういうオッサンなのだ。
Twitterで自分を隠して誹謗中傷する民と変わらない。
なんだか、自己嫌悪に陥りそうな内容に流れてしまった。
気を取り直して、気まぐれに気ままに書きたいことを書いていこうと思う。
こういう左利きノッポというキャラクターを作ったことが楽しいだけだ。
東京オリンピックのさなか、今日は台風か。
以前私のサロンをオープンするとき前日に台風直撃だった。
台風で午後から電車運行休止という情報があったため午前のうちにサロンに寝袋を持っていき、お店で寝て、オープン当日を迎えたのを思い出す。
当日は快晴だった。
「嵐を呼ぶ男」と当時は自分のことを呼んでいた。
そんな
「嵐を呼ぶ男、左利きノッポ」が今日も行く。
最古の記憶が意味するもの
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」というお題があったので書こう。
私の最古の記憶、それは音もなく、ただ映像だけが脳内に残っている。
人というのはどうして「不の感情」の記憶が残ってしまいやすいのだろう。
残念に思う。
もっと幸せな記憶が残れば人生楽しいだろうに。
だが、生きているときというのは、「魂の修行」という話もよく聞く。
修行とは辛いものだ、決して楽ではない。
私の癖で思考が止まらなくなる。悪く言えば妄想だ。
過去の過ちをいく日も引きずる、未来の起きていないことでも妄想しては落ち込む。
私の脳内は、一つ一つの記憶を忘れないためにそうさせるのかもしれない。
きっと意味があるのだ。
ではあの最古の記憶になんの意味があるのかはさっぱりわからない。
嫌だったイメージしかないが、何かの教訓があるのかもしれない。
あれは私が幼稚園時代、思ったより大きくなってからの記憶だ。
もっと幼いときの記憶がないかと記憶をたどるが見当たらない。
合唱中の出来事だ。
ここは教室だろう。合唱のため椅子で段が設けられていた。
私は視界的に椅子の上、2段目にいる。
皆で歌っている。
次に視界に入ってくるのは足元の水たまりだ。
そう、合唱中にお漏らしをしているのだ。
なんとも、最古の記憶がお漏らしとは、恥ずかしいが本当に嫌だったのだろう。
私はこの記憶をたまに笑い話として話すが、あの当時、4〜5歳でも人前で漏らすということがどれほど恥ずかしく辛いものかを理解していたつもりだ。
この恥ずかしさ、辛さが人生の教訓なのかもしれない。
私の次男が小学校の入学式中、記念撮影時になんとお漏らしをした。
その時にあの記憶は呼び起こされた。
写真を撮った後クラスメイトが退場する中、息子の姿がないとおもっていると先生と手を繋いだ次男がとぼとぼと歩いてくる。
どうしたのか聞くとお漏らしをしたという事実を知った。
トイレに行きたいということをタイミングを逃し言えなかったそうだ。
そのまま先生に手を引かれ保健室に連れて行かれた。
クラスでのホームルームにまだ姿はない。
ホームルームも終盤になると次男が教室に戻ってきた。
上は入学式のままブレザーを羽織り、下は貸し出されたであろう体操着を履いていた。
上下のバランスがなんとも言えない感じになっているが仕方がない。
帰り道も浮かない顔で歩く次男。
晴れ舞台の日、お漏らしをしたという恥ずかしさ辛さは今後も忘れないだろう。
彼にとって嫌な記憶が残ってしまったに違いない。
でもお父さんは、今の君の気持ちを痛いほど理解している。
この時のための記憶だったのだろうか。
息子よ、心配はいらない。
いつの日か笑い話にできるから。
【小言】巡りめぐって私のもとへ
私が当時働いていた美容室のスタッフに向けて書いていたコラム『小言』を再編集したものだ。
2015年1月から約1年半にわたり毎週末に投稿したものが81件ある。
全ては載せないがいくつか記事を抜粋していこうと思う。
興味があれば読んでみてほしい。
今日1日どんな日を過ごしただろうか?
美容師であれば週末は仕事のため、来店されるお客様を綺麗にすることに精一杯だったと思う。
一般の人であれば、一週間の疲れを癒すため自宅でまったりくつろいでいる人もいただろう。
アクティブに外で遊んだ人、はたまた仕事で休むこともできない人、世界中で様々な1日が過ごされていたんだなと思う。
もし、今日自分が行ってきた行動が自分にそっくりそのまま帰ってくるとわかっていたら、あなたはどんな行動をとるだろう。
人を罵って怒りをぶつけ、それがそのまま帰ってくるとするならば、きっと最低な行動をとることはなくなるだろう。
人に笑顔を与え、ワクワクさせて、喜んでもらって、幸せにするようなことをできたら、自分にもそんな体験が待っている。
そう思うだけで、人によくしたくなるはずだ。
そんなことあるわけないだろうと現実主義の人もいるのも、もちろんわかっている。
人に喜んでもらおうと必死でその人にために動いていたらきっと気持ちは伝わるし、その人はあなたに喜んでもらおうと頑張ってくれるだろう。
そう信じていた方が人生幸せじゃないか?
なので、最近はできるだけ人のことを悪く思わないようにしている。
人に対する感情をフラットにしてマイナス方向へは向かわせず、プラス方向へ向けている。
そうすると、世の中には悪い人少なく、たくさんいい人がいると感じるようになる。
そして自分によくしてくれる人が増えるような感覚におちいる、不思議だ。
自分の行いは巡り巡ってまた自分のところへ帰ってくる。
どうせなら、良い行いが帰ってくるように日々生きていたいものだ。
だから、幸せな人の周りには幸せそうな人たちが集まり、不幸なオーラたっぷりの人の周りには、不幸を感じるどんよりがたっぷり集まるのはそのためなのかもしれない。
その選択肢を選ぶのはあなた自身であり、周りの誰でもない。
だから不幸を人のせいにするのはお門違いだ。
自分が絶好調でいたいなら、絶好調と思い込まないと。
ですが人間はどうしても波がある。
生まれてから死ぬまで絶好調な人なんて一人もいない。
人生山あり谷あり、その山と谷のバランスを山多めにできたら良いし、谷があったとしても深~い谷ではなく、チョロっと谷ですぐ這い上がれる感じだとなおさらグットだ。
また、辛いことがあるからこそ幸せが倍増することもあるので、マイナス面をなくす必要はなく、マイナスは幸せのためのスパイスだと思えたら良い。
自分の人生をうまくスパイスを使いながらメイクしていく。
コントロールしながら人生を楽しんでほしい。
「マイナスは幸せのためのスパイス」なんて上手いことを言ったもんだ。
本当に5年以上前に自分が書いた文章か?
これを読んで自分が勉強になっている。
もっと自分の思考をブラッシュアップしないといけないと思った今日この頃。
【小言】10年前の自分が今の自分を見たらどう思うのか
私が当時働いていた美容室のスタッフに向けて書いていたコラム『小言』を再編集したものだ。
2015年1月から約1年半にわたり毎週末に投稿したものが81件ある。
全ては載せないがいくつか記事を抜粋していこうと思う。
興味があれば読んでみてほしい。
私が美容師になったのは21歳になる直前のギリギリ20歳の時だ。
現在37歳(投稿当時)、16年も昔のことである。
今の私というのは、20歳の頃想像していた私にどれだけ近づいたのだろうか。
それともかけ離れていっているのだろうか。
正直言うとかけ離れている。
・35歳ぐらいには独立
・すこぶる有名になっていファッション雑誌の仕事やヘアメイク
・業界誌にも掲載される
・自分のサロンにはたくさんスタッフがいる
・第一線でバリバリやってる300万プレーヤー
・超やり手のオーナー兼スタイリスト
そんなことを考えていたような気がする。
では、その夢に向かって自分がどれだけそうなるための努力をしてきたか、行動してきたか、考えてみると反省点が山ほどある。
やはり自分に甘かったのだ。
皆はどうだろうか?
美容師になった頃の夢に向かってどれだけ努力して、行動してきたのだろうか?
あの頃の夢と今の自分はリンクしているだろうか?
リンクしているひとがいるとすれば、とても尊敬する。
こんなはずじゃなかったという人もいると思う。
むしろ後者の方が多いのかもしれない。
そんな人はまず反省すれば良い。そして軌道修正すれば良い。
だが大体のひとは反省だけで終わってしまう。
そのまま過ごして10年後もこんなはずじゃなかったと同じように思うことになるだろう。
軌道修正して行動に移したひとは10年後今とは違った自分がいるかもしれない。
そんなことは誰でもわかると思ってるだろうが、なかなかできないのが人間であり、できていたら苦労してないのである。
己を奮い立たせ、いかに動くか。
夢であれば一生夢のまま。
夢ではなく目標にしてはどうだろう。
目標にすれば、自ずとやるべきことが明確になる。
世の中なかなか甘くない、頑張って動いた人しか目標を達成はできないのだから。
1年後、3年後、5年後、10年後どんな自分がいるだろうか?
理想の自分に近づくために、今日やるべきことは何か考えて行動しよう。
その日々の積み重ねが10年後の自分をつくる。
良い人生になるも悪い人生になるも、それはあなたが動いてきた結果である。
誰のせいでもない。
後悔したくなければ、つべこべ言わず行動あるのみ。
自分の人生は自分でしかアレンジできないのだから。
このコラムから5年経った。
今、私はプライベートサロンを一人でやっている。
一人一人のお客様を大切にしたくて席はひとつしかない。
あの頃に比べれば成長できたのではないかと思っている。
今はこれから先5年後、10年後を見据えて計画を練っている。より良い未来のために頑張るしかないのだ。
当時将来の目標などを書いていたノートだ。レザーなので使い込んでいくととても味が出てくるのだ。カッコいいのでぜひ手元に置いてほしい。
6年前「小言」と名付けられたコラムってなんだ?
2015年1月〜2016年8月までの1年8ヶ月、当時、店長でもない一美容師の私がスタッフLINEにほぼ毎週投稿した「小言」と名付けたコラムがある。
これをiPhoneのpagesに保存してあるのだが、ふと思い出して久々に読んでみたところ結構良いことが書いてあった。
懐かしさと共に勉強になるじゃないかと感心してしまう。
本当に自分でこんなこと書いたっけというぐらいの内容だった。
ハードルを自分で上げているが、頭がいい人からすれば何をこんな文章で…と思われるかもしれない。
だが、この程度の文章でも参考になる人いるんじゃないかと思う。
書くネタが思い浮かばない時は小言シリーズを再編集してアップしていこうと思っている。
よかったら読んでみてほしい。
その前に経緯を書いておこう。
その当時勤めていたサロンは業務委託の美容室でアシスタントはおらず、お客様に初めからおわりまで一人で携わるマンツーマンスタイル。
スタッフは色々なサロンで経験して来たスタイリストのみで構成されていた。
年齢差はあれど役職につかない限り、上下関係はないようなサロンだ。
はっきり言って個人のブランディングや、人より頑張ってより多く顧客をつけたスタイリストが売り上げも高く、個々の売り上げ差がかなり出る。
指名が多いスタイリストはほぼ指名のみの営業になっていき、指名が少ないスタイリストは指名無しのフリーのお客様に入客して営業していく。
フリーのお客様も限りがあるのでそれを分配していくため、あまり数多くは入客できないというデメリットがある。
なかなか指名を獲得できず、いつになってもフリーのお客様に入っていると、「フリー泥棒!」なんてレッテルはられたりしてしまいそうな感があるのだ。
私はその当時店長ではなかったけれど、売り上げはトップだったが、入社当初たいして顧客もおらずほぼ0スタートで(事情があり半年美容師を離れていた)、本当にお客様を付けるために必死だった。
早くトップになりたいと強く願っていた。
みんなが休憩する中、来店くださったお客様にせっせか手書きのDM(当時ハガキ)を作って送った。
カルテをしっかり書いて保管し、また来店していただいた時に前回の話を振り、覚えている感をアピールした。
そもそもカルテを書かないスタッフに疑問を持ったが当時の業務委託サロンというのはそれが普通だったようだ。
技術だけではなく接客の勉強や、心理学を学んだりもした。
いろいろ取り組んでみていった結果なんとかトップになれたのだ。
以前指名の少ないスタッフから
「指名たくさんいるからいいよね。俺は少ないからキツいし…」
と言われたことがあった。
内心、「だってあなたより努力したもん」と思ったのを覚えている。
当時、サロンとしてぬるさを感じていた。
人は楽な方を選ぶ、権利とばかり主張、要求はするけど自分は変えない。
なんだかなぁ、都合の良い話すぎやしねえか…と。
だから考え方を変えてもらわないと、この先個々が伸びない。
そんなことを考えた結果、感じていることをあえてコラムとして発信してみようと思ったのだ。
サロンの意識の底上げをはかろうという想いがあったし、そうすることで、発信した以上自分もその事と向き合わなければならない。
そうすれば自分の成長にもつながっていくだろうと考えた。
案外書いていることは、当たり前のことだったりが多いけれど、その当たり前ができないのが人間で、一手間だったり面倒だったりするとつい省いてしまう。
その当たり前をできたとしたら改善につながったりする。
私自身は、有名なカリスマ美容師でもなんでもないし爆発的な人気スタイリストというわけでもない。
サロンワーク中心の一般的な美容師の一人に過ぎないけれど、だからこそリアルなのだ。
この「小言」は美容師としての在り方を見直し、より良い美容師になるためには必要な気がした。
私は何かを始めようと思ったとき、突然スイッチが入る、そうなるとやらずにはいられない。
この時も突然スイッチオンになったのだ。
伸び悩んでる美容師には参考になるかな。
美容師のことだけでなく、人生観とか日々の思考とか案外違う部分にも響くこともあるかも知れない。
まあ、気楽に再編集していこうとおもう。
離別感を持てない親と日々成長している子供
今日、わたしは休日だ。
妻はパートに行き、子供は学校に行っている。
私もささっとやるべきことは半分ぐらい済ませて、妻の働くカフェにモーニングを食べに行った。
彼女はキッチンなので私が来ていることは知らない。
もはやストーカーである。
アイスティーとトーストのセットを食べ、仕事の続きを少しやりながら過ごす。
小腹が空いたからふわっふわのパンケーキも追加。
メープルシロップをたっぷりかけて美味しくいただいた。
もちろん妻にはLINEで来たことや、パンケーキ頼んだことなど逐一報告するうざったい中年のおっさんだ。
ただ仕事中であるため一切既読にはならないが…
妻は14:00までのパートなので午前授業の子供たちは昼には帰ってくるためお昼を食べさせねばならない。
12:00過ぎにはカフェを後にした。
子供が帰ってくると、適当に作った具沢山味噌汁とご飯を食べさせて話をする。
どうでもいい会話が続くがそれはそれで面白い。
幸い私の精神年齢は子供なので話は合うのだ。
だらっと過ごしていると妻からLINE。
私が送ったパンケーキの写真はどうやら妻の作ったものだったようだ。
「ワイフよ、おいしかったよ」
と心の中でつぶやく。
午後は子供と過ごそうと思っていたが、昼食を食べた子供達は各々宿題をしたり、友達とゲームでチャットしたりと、全く私のことは眼中にない。
一緒に遊ぼうと声をかけても一切反応しない。
友達とのゲームに夢中だ。
最近子供たちも私と遊ぶより友達との遊びの方が楽しいようだ。
「車で待ってるから」と声をかけて先に出てきたが、一向にくる気配はない。
待っている間にこのブログを書いている。
はや30分、待ちぼうけだ…
するとちょうど妻が帰ってきた。
車で何してるのかと聞かれ事情を話す。
妻に言われたようでやっと子供たちも出てきた。
ようやく家族で出かけられる体制が整ったことに嬉しさを覚える。
車を走らせながら、冗談混じりで一言。
「もう誰も私の相手をしてくれなくて寂しい」
お恥ずかしい、どっちが子供だか…
子供離れできていないのは私だ。
子供は確実に私の元から徐々に巣立とうとしているのである。
(と良いように解釈しているがただ単に相手されない悲しい中年かも)
以前心理学を学んでいたとき「離別感」を知った。
あの時はなるほどなんて思っていたが、勉強が未だ自分のものになっていないことがわかった。
子供は自分と同じではない、子供には子供の人格があり人生がある。
それを尊重するのが親としての離別感なのだ。
オートミール=痩せる?世の中そんなに甘くない
オートミールの話題を出すと、ミーハーと思われるかもしれない。
だがしかし、始めてから3ヶ月半自分自身が経験したことを語る権利はある気がする。
いや、語りたくてしょうがないのだ。
まず最初に感想を言う。
食べ方を理解すればとても体に良いものだと思う。
続ける価値はある。
勘違いしている人が多いが「オートミール=痩せる」では、けっしてないのだ。
以上。
私がオートミールを始めたきっかけは、健康に欠陥があったからであり、悪玉コレステロール、γGTPが人間ドックにてC判定、D判定を叩き出してしまったからだ。
しかもこれは一年以上前の人間ドックの結果だったにもかかわらずスルーしていた。
今思えば、なんて健康に無頓着だったのだろうと反省している。
生命保険加入時に引っかかるかもしれないと言うことで、 やっと大事であることに気付いたのである。
現状を知ろうと3ヶ月前に献血で血液の検査をした。
それがスタート地点である。
献血でのビフォーアフターは別記事で載せているので是非見てほしい。
hidarikiki-brain.hatenablog.com
検索するところから始めた私は、一つの策としてオートミールにたどり着いた。
他にも色々と並行して行ってきたが今回はオートミールにフォーカスする。
オートミール最大の魅力といえば食物繊維が豊富という点、水溶性食物繊維が割合的に高いのが大事だ。
食物繊維は腸内環境を整えてくれる。
汚い話で申し訳ないが1番初めに変化が出たのは便だった。
今までは柔らかくいつも拭くたびにいつまでもついていたのだが、便に適度な硬さが出て、拭いてもペーパーに一切付かなくなったのだ。
それだけでも私の中ではトイレ内のストレスがかなり無くなったことに喜びを得た。
他にも、栄養価が高くミネラル等もしっかり補給できるのが良い点だ。
ただし穀物であるため食べ過ぎてしまうのはNGである。
とはいえお米と同じ量を取ろうとすると多分食べきれないのではないかと思う。
かなり膨らむイメージがある。
オートミールを食べる際だいたい一食が30グラム程度で良い。
元々乾燥しているため水分を加えて加熱するとかさがます。
オートミールは血糖値が上がりづらいというのも良くて、食べすぎを防いでくれる。
セカンドオーツという言葉があって、朝食べた場合昼食の血糖値上昇まで抑えてくれるそいうから優れもの。
オートミールはちょっと苦手みたいなイメージがある人が多いのだが、オートミール自体にはあまり味はない。
食べ方次第だろう。
私の食べ方を二つ紹介しておく。
①朝食用シリアルとして
毎朝欠かさず食べているのがこれだ、飽きもせず続けられている。
《材料》
オートミール30グラム
豆乳(アーモンドミルクも可)200cc
アガベシロップ適量
バナナ中サイズ一本
ヨーグルト(ダノンbio脂肪0無糖) 1パック
《作り方》
⑴器にオートミールを入れ、豆乳を注ぎ、ラップをして冷蔵庫へ一晩寝かす(オーバーナイトオーツというそうだ)
⑵朝、冷蔵庫から取り出し、ヨーグルト、アガベシロップ、スライスしたバナナを入れ混ぜる
⑶完成
非常に簡単で手間もかからない。
オートミールを一晩寝かすことで水分をしっかり吸収してくれるのでパサパサしないため食べやすくなる(浸してすぐはパサパサで食べれない。)。
これを私は「モデルの朝食」と呼んでいる。
②和風雑炊
オートミールと聞くと洋風をイメージする人が多いのだが、和風雑炊のような食べ方がとても美味しい。
私は夕食をこれにしているケースが多い。
《材料》
オートミール 30g
水 300cc
だしの素 小さじ1
たまご 一個
とうふ50g
大根
オクラ
しめじ
芽ネギ
桃屋のきざみしょうが 小さじ1
塩 少々
きざみのり 少々
ごま油 少々
《作り方》
⑴野菜は刻んでおく、好みの量でOK
⑵鍋にオートミール、水を入れ火をつける
⑶野菜、豆腐、桃屋のきざみしょうが、中火で2〜3分煮る
⑷だしの素、塩を入れ味を見る
⑸卵を落として火が通るまで煮たら火を止める。
⑹器によそったらごま油を垂らし芽ねぎときざみ海苔をふりかけたら出来上がり
日によって野菜を変えたり、キムチを入れたりして 飽きないようにすると良い。
お腹の減り具合によってオートミールの量を減らして、ほぼスープのような感じにすることもある。
しょうがを多めに入れたり、胡椒を少し入れたりするのもいい。
オススメだ。
私が食べているのがクエーカー。
外人のおじさんのパッケージで定番の商品。
このオートミールは粒が大きく平たく潰してあるタイプ。
私は煮た後に粒感が残っている方が好きなのでこれにしている。
いつもコストコで巨大なのを買うがネットでも変えるので貼り付けておく。
このサイズを3ヶ月でちょうど食べ終わるのだが、空にした達成感は格別なものがある。
4.5kgも入っておりコスパは最強だ。
食べ慣れた人はこちらにすると良いのではないか。
初心者におすすめなのが日食プレミアムピュアオートミール。
私が初めて食べたのもこのシリーズである。
一袋が少量なのでだいたい1週間で食べ切れるため入門編に向いている。
そして細かく砕かれているため口当たりが良く食べやすい。
オートミールは各社形状が違うので好みで食べて貰えば良い。
自分が一番食べやすいものがベストなのだ。
あとはどう調理するかで使い分けるのも良いと思う。
後者のピュアオートミールは細かく砕かれているので水分を入れ熱を加えるとペーストっぽくなる。
ということは小麦の代用として使えるのである。
クッキーにしたりお好み焼きにしたり、パンケーキにしたり。
色々応用できるだろう。
ただ我が家にはミキサーがあるのでクエーカーもミキサーで粉砕してしまえば同じことである。
このブログにたどり着いた方は、オートミールについて調べているのだろう。
自分が納得できる情報を自分で選んで考え実行してみるといい。
最初にも言ったが「オートミール=痩せる」ではないことはわかってほしい。
オートミールを食べるという健康志向になることで自然と摂生し、食習慣や日々の運動などの改善を図るようになる。
その積み重ねが結果として「痩せる」につながるのである。
「マインドを変え、自分に厳しくできる」ようでなければきっと痩せることはないだろう。
私は10キロ以上痩せたけどね。
是非頑張ってほしい。
「痩せる」ではなくに「健康な体になる」ことを前提に始めるといい。
そうすれば自ずと改善されるはずだ。
健闘を祈る。
オーガニックもあるので載せておく